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建築様式が大きく変わった鎌倉時代。寺院や庶民の住まいについて紹介

日本では古来よりさまざまな建築様式が誕生しており、今もその一端を見ることができます。
建築様式は時代ごとに変化していますが、鎌倉時代は大きく変化した時期の1つです。

本記事では、平安時代末期~鎌倉時代初期の建設の建築方法や構造についてご紹介します。

鎌倉時代になる過程で変化した建築

奈良時代や平安時代は、貴族文化が栄えたことにより
寝殿造りなど優美な作りの建物が多く作られました。
しかし、鎌倉時代になると世の中は武士を中心とした社会に変化します。
さらに、大陸から宋と元の文化と技術が伝来したことから、多様な建築様式が生まれました。

鎌倉時代には、見た目よりも実用性を重視し、敵への襲撃に備えた「武家屋敷」が登場します。
武家屋敷は、敵をすぐに発見できるように丘の上に建てられることが多かったとされます。
また、屋敷の周囲は敵の侵入を防ぐために、堀を作ったり網代編みの竹垣などで囲ったりしていたようです。

い草を使った畳も誕生しました。
このころに畳職人が生まれ、本格的な畳の生産が始まったとされています。
しかし高価だったため、庶民はわらや竹を釣った筵(むしろ)などを使っていたと考えられています。

鎌倉時代に登場した「寺院」

鎌倉時代の「寺院」は主に以下の様式で作られました。

大仏様

大仏様は、平安時代初期から鎌倉時代初期に流行した様式です。
浄土宗の僧である「重源」によって伝わったとされています。
巨大建築をできるだけ早く、合理的に建てるために使われました。

大仏様は、1181年の南都焼き討ち後に、東大寺大仏殿を再建する際にも用いられました。
野屋根や天井がないため屋根裏が見え、
組物を突き通す「通し肘木(とおしひじき)」や柱を水平に支えるための「貫(ぬき)」、
柱に挿す「挿し肘木(さしひじき)」などが用いられていたのが特徴です。

禅宗様

禅宗様は「唐様(からよう)」とも呼ばれており、鎌倉時代に禅宗と共に伝来しました。
現存している禅宗様建築物には、山口県下関にある「功山寺仏殿」があります。
大きな特長は、大きく反り上がった屋根です。
この屋根には軒があり、軒の下には詰組(つめぐみ)が並んでいるのが特徴です。
構造は大仏様と似ており、柱に穴を開けて、貫が用いられています。

折衷様

折衷様は、和様の中に大仏様や禅宗様を取り入れた建築様式です。
兵庫県の「鶴林寺本堂」が折衷様として建てられた建築として有名です。
和様をベースに作られており、大仏用の貫や挿肘木、禅宗様の詰組などの要素が詰めこまれています。
また和様をベースに、大仏様のみの特徴を加えたものは「新和式」と呼ばれることもあります。

鎌倉時代に庶民が住んでいた住居

鎌倉時代の庶民の住居

鎌倉時代の庶民は、どのような住居に住んでいたのでしょうか。
農民などを含めた庶民は、貴族が持っていた「荘園」に住んでいたとされています。
武士は元々、貴族の土地や主を守る役割で、庶民はその土地で農作業などをするため
畑や田んぼの周辺などに暮らしていました。
農民たちは、縄文時代によく用いられていた竪穴式住居などで暮らしていました。

また鎌倉時代に誕生した「方形竪穴式住居」も使われていたとされています。
竪穴式住居は、丸みを帯びた穴の形をしていますが、
方形竪穴式住居は長方形もしくは正方形に掘られているのが特徴です。
土台や基礎などはなく、柱を直接土に建てた「掘立て小屋」などに住んでいる人もいたとされています。

鎌倉時代の建築様式について知ろう

鎌倉時代は武士を中心とした社会になったことや、大陸から新しい技術や文化が伝来したことから
建築方式が大きく変化しました。
優美な建物からより実用的な建物へと変化しているのが特徴です。
現代では使われなくなった様式ですが、昔の日本建築を知るのも面白いでしょう。